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加賀友禅で人間国宝の羽田登喜男(はだ ときお)について

羽田登喜男は、1911年1月14日生まれの石川県金沢市に造園師の三男として生まれました。

 

1925年に金沢市で南野耕月に入門し加賀友禅を学び、1931年に京都市で曲子光峰に入門し、京友禅を学びました。

 

1937年、修行を終え独立。
妻とともに京都に工房を構えました。

 

1955年に日本伝統工芸展初入選。

 

その後、様々な賞を数多く受賞しました。

 

1984年、京都の祇園祭の蟷螂山の胴掛けなどを手がけ、
1988年に友禅で重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。

 

1996年フランスのリヨンで、登喜男、長男、孫の3代による特別展を開きました。

 

2007年10月10日、高齢の為、制作活動を終了し、翌年、2008年2月10日、肺炎に起因する敗血症で死去、97歳でした。

 

 

羽田登喜男の作品は、京都の庭園や自然、花鳥風月に題材を求めるものが多いです。

 

特に、おしどりの文様は独特デザインの為、人気がとても高いです。

 

野の草花を豪華な文様にデザインすることが特徴です。

 

 

羽田登喜男は、京友禅の世界に加賀友禅を融合させた独自の境地を切り開き、京都府民を代表してダイアナ妃に送った振袖、祇園祭蟷螂山の懸装品、内外での展示会でとても活躍しました。

 

 

羽田登喜男没後も、振袖や帯の人気は衰えず、着物店は勿論、オークションサイトでも高値で取引されています。

 

高価なものは100万円以上するものがあり、特選創作友禅訪問着で希少価値があるものは、500万円の値がつくものもあります。

加賀友禅で人間国宝の羽田登喜男(はだ ときお) まとめ

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羽田登喜男には現在後継者がいますが、それでも羽田登喜男本人の作品への需要は薄れることはありません。

 

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加賀友禅で人間国宝の羽田登喜男(はだ ときお)

 

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