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芭蕉布で人間国宝の平良敏子(たいら としこ)について

平良敏子は、沖縄県大宜味村喜如嘉で、大正10年2月14日に生まれた染色家です。

 

20代で勤労隊として倉敷に赴き、帰郷の折に倉敷紡績の社長の大原総一郎と民藝運動のリーダーの一人、外村吉之助から
かけられた「沖縄の織物を守り続けて欲しい」との言葉を真摯に受け止め、
太平洋戦争後の昭和21年、沖縄県大宜味村で、多くの文化遺産同様に、途絶える寸前だった芭蕉布の伝統を
平良敏子と喜如嘉の女性たちの情熱と努力によって復興させました。

 

 

芭蕉布とは多年草の糸芭蕉からとった繊維を細く裂いた糸で織り上げる沖縄特有の布で、絹でも麻でもない独自のシャリ感を持ち、肌に触れるとヒンヤリとした質感で、蝉の羽のような美しい布です。

 

13世紀ころには既に織られていて、王族から庶民まで沖縄の人々に長く愛されてきました。

 

平良敏子は作品を作り続け、昭和38年芭蕉布織物工房を本格的に主催していきました。

 

昭和40年には、芭蕉布とその作品を作る人を守り育ててきたことから、沖縄タイムズ文化賞を受賞、
昭和48年には、労働大臣より卓越技能賞受賞。
「現代の名工」となりました。

 

そして、芭蕉布は昭和49年に国の重要無形文化財に認定されました。

 

昭和61年に平良敏子は、吉川英治文化省を受賞。

 

さらに、喜如嘉の芭蕉布保存会の会長として、その伝承と行進指導が評価され、平良敏子は個人として
平成12年芭蕉布で重要無形文化財(人間国宝)に認定され、平成14年勲四等宝冠章授与されました。

芭蕉布で人間国宝の平良敏子(たいら としこ) まとめ

伝統的工芸品の指定を受けた人間国宝平良敏子の芭蕉布は、独自の世界を持っています。
現在は、沖縄でも喜如嘉だけになりどう保護するかが課題となっています。
素材、染料などすべて自然の素材から作られる芭蕉布は、百年以上の歴史を持つ琉球王朝時代から守られてきた製法で作られています。
糸芭蕉から繊維を取り出して根気強い作業の繰り返しが糸をつくりだします。
長い作業工程を丁寧な作業で生み出されたのが柔らかく芯の強い風合いが好まれています。
平良敏子は戦後その技術を広く世に広めたことで知られています。
芭蕉布は歌にもあるようにまさに沖縄が生み出した自然の産物です。
一般に着物買取は、素材が正絹のものに限られます。
買取プレミアムは、他の素材でもいいものは買い取ってくれます。
伝統の裏打ちのある芭蕉布は、まさに保存していかなければならない技術です。
後継者の数も減っているのが現実です。
戦後、沖縄を占領した米軍は蚊の繁殖を断つためにイトバショウが切り倒されたため素材がなく喜如嘉でささやかにつられているだけです。
芭蕉布で作られた着物自体が、貴重なものとなっています。
平良敏子が織った着尺、帯は芭蕉布の新しい可能性を見出す作品です。
いいものを見抜く技術は、買取り業者には欠かせないものです。
買取プレミアムの鑑定士はその目を持っています。

いいものは、長く伝承されていくことが大切です。
評価ができなければ伝承はありえません。
素朴な芭蕉布を今後残していくために買取プレミアムをおすすめします。

 

芭蕉布で人間国宝の平良敏子(たいら としこ)

 

芭蕉布で人間国宝の平良敏子(たいら としこ)